米沢観光コンベンション協会

米織の歴史は古く、藩主上杉景勝公の重臣直江兼続は、領民が自家用として織っていた青苧(からむし)や麻布をひとつの産業として整備したと伝えられています。
これをさらに本格的な産業として開発したのは米沢藩中興の名君として知られる上杉鷹山公。
疲弊した藩の財政建て直しを図るため、下級武士と家中の娘達の内職として機(はた)を織らせました。

現在では伝統的な手機を使った草木染織、ぜんまい織などから、全国生産の9割を占める呉服、洋装の婦人服まで、多くの品々を生産しています。
上杉藩下級武士の原方衆(半農半士の武士) の妻たちの手で作られたのが始まり。
貧しい時代に布に糸をさすことによって、つなぎ合わせ、重ね合わせ丈夫に使えるようにと刺し子をほどこしていたということです。
相良人形は、仙台のつつみ人形によく似た素朴な土人形です。

米沢藩主上杉鷹山公の臣 相良清左エ門が鼻祖。相撲とり・大黒・おしくらまんじゅう・鉄砲撃ち・子守り娘など数十種類あるが、いずれも初代以来の型を使用しています。
終戦時6代目で1度途絶えたものの、昭和41年に当主相良隆氏が復活させ7代目を名乗っています。

相良人形のコレクターは市内にも相当おり、古いものになるとなかなか手に入れることができません。とくに初代清左エ門のものは数えるほどしか残されていないと言われています。
名君上杉鷹山公が有名な上杉の城下町米沢。
米沢では古来より産業を奨励し、商人達もその意思を受け継いでいました。
そんな風土のもとで生まれたのがこの米沢箪笥。

欅、栗、桐、杉などの木地に漆塗りを施して手打ちの鉄金具を付けた機能性を重んじ美をも併せ持った箪笥。さまざまな用途に合わせたものがあり、衣装箪笥、米沢唐戸(車箪笥)、帳場箪笥、階段箪笥、水屋箪笥などがあります。

現在では、若い世代の方も衣装箪笥をリビングに上下に二つに分けて置いたり、階段箪笥を食器棚として使ったり、モダンな飾り方をして部屋をコーディネートする方も増えています。
東北はこけしのふるさとで、昔からの技法をそれぞれの個性を豊かに表現した木で作られた素朴な人形です。
米沢には純然たる米沢生まれのこけしはありませんが、かつては米沢にも多くの工人がいました。
弥次郎系、山形作並系、蔵王高湯系に属した工人達です。
こけし作りの実演は、今も白布温泉の「木地屋物産」で見ることができます。
戦後に生まれた創作こけし。創作的な造形と木の素地の美しさに芸術性が感じられます。
米沢には優れた作家が多く、数々のグランプリを獲得しています。
戦後の新しい焼物。
旧藩時代の成島焼の伝統に萩、唐津、上野諸窯のそれぞれの味と米沢の風土を加味した独特な焼物です。
桐下駄の本場は会津というのが通説ですが、かつてその何割かは米沢の桐材で作られたと言われています。

雪国の桐は固く、とくに会津や米沢の桐は目のきっちりとつんだ良材です。
生産量こそ少ないものの、昔ながらの亀下駄、後丸、雪下駄から右近履きまで何でもできます。

特に珍しいのはビッカ。
幼児用の桐下駄ですが、作っているの国内でも米沢だけだそうです。
下駄のいしぐら(名入れ)もしてくれて、お土産に大変喜ばれます(1足850円)。
もちろん手作りで、固くて軽く、縫歯が少ないため、安いのが米沢下駄の良さ。
物産館か市内の各下駄屋でお求めください。
昔懐かしい「木」の独楽。米沢は日本一の生産量を誇ります。
独楽の里つたやでは自社製造の独楽だけでなく、日本各地の独楽を販売しています。からくり独楽などユニークなものも多数あります。
その他自社の木地玩具、全国各地の木地玩具なども多数展示しています。