米沢観光コンベンション協会

たび重なる大飢饉に上杉鷹山公は、常食にしている以外の植物・動物で食用に供されるものを選ばせ、「かて」になるべき食べ物を「かてもの」として、享和2年(1802年)に版本におこし、大金を投じて1500冊を製本して藩内に配布した。
この書には82種類ものの記述があり、それらの食べ方・栽培方法を親切に教える手引書であった。
この「かてもの」は天保4年の大飢饉に大いに役立ち、近くは大東亜戦争の食糧難に際してこの書を活字体に直して印刷し、ひとり米沢地方に止まらず、他県にまで広くこの書が食糧事情を救うのに役立った。
うこぎ・ひょう干し煮・雪菜・冷や汁など、今も市民の家庭料理として食卓にのぼっている。

〜(社)米沢観光物産協会「米沢浪漫」より

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2006.05.09:yonezawa:[ウィキ]